「じゃべらないクライエントへのカウンセリング」メルマガ第79回:2013年9月10日

こんにちは、鈴木です。
メルマガを開封して頂き、ありがとうございます。

 

 

「なんで何も出来ないんですか?」


数年前の話です。

私がスクールカウンセラーとして勤務していた小学校に、
場面緘黙(ばめんかんもく)の女の子がいました。

場面緘黙とは、話すことができない心の病の一種です。


仮にTさんとします。

Tさんは自分の家では家族と普通に会話ができるのですが、
一歩外に出ると、途端に話せなくなってしまうのでした。

そうした状態が幼児期からずっと続いているのでした。


場面緘黙については、詳細は別の機会に譲りますが、
あるケース検討会の席で、私がTさんのことについて少し話をしました。

その話の中で私は、はっきりとは覚えていませんが、
「話せないのでカウンセリングができない。」だったか、
「カウンセラーとして相談室に来ても、何もできない」とか言ったのだと思います。

その時、その検討会のスーパーバイザーであった私の師が、
ボソッと一言、こうつぶやいたのです。


「なんで何も出来ないんですか?」


師は私の方を見るでもなく、少し下に視線を落とした格好で、
静かにそうつぶやいたのです。

私は自分の言った言葉は正確には覚えていません。

しかし、その時の師の言葉と言われた場面、光景は、
今もはっきりと鮮明に覚えています。


それは、その言葉が自分の胸に刺さり、
そこから「では何ができるのか?」ということを
何年にもわたって考えさせられるきっかけになったからです。

結局そのTさんとは、スクールカウンセラーとして関わる機会はありませんでした。

Tさんの母親が何度か相談室に相談にみえましたが、
Tさんが相談室に来る機会はありませんでした。


それでも私は、もし場面緘黙の子とカウンセリングをすることになったら、
カウンセラーとしていったいどうすればいいのかを自らに問い続けました。

カウンセリングや臨床心理、場面緘黙について書かれた専門書などを読んでも、
カウンセリングについて具体的な記述はありませんでした。

しかし、師が私に投げかけてきた問いは
「なんで何も出来ないんですか?」というものでした。


師はこうした問いをぶつけてはきますが、
その後に具体的なヒントや答えを教えてくれる人ではありませんでした。

つまりは「自分で考えろ」ということですね。

自分で格闘し、自分で問い続けて「自分の答え」を見つけろ・・・ということです。


私なりに数年間、問い続けてきて今、いえることがあります。


カウンセリングとは、方法論ではありません。

技術的な要素も大切ですが、そうした方法論ではなく、
最終的には「あり方」であり「姿勢」が大きな要素となります。

つまり、クライエントの前にどのような姿勢で、
どのような気持ちで座っていられるのか・・ということです。


場面緘黙の子どもは、相談室に来ても、何も話せません。

カウンセリングではそもそも、沈黙を重視しますし、
私も30分以上の沈黙は何度か面接で体験しています。

しかし、場面緘黙の子どもとの間に流れる沈黙は、
やはりそうした沈黙とは違ってくるわけです。


半ば、終わりのない沈黙となるわけですからね。


そうした場面でカウンセラーとして、一人の人間として、
いったいどういう気持ち、姿勢で一緒にいることができるのか?


少なくともその沈黙を全面的に受け容れることが必要になるでしょうね。

その沈黙に全面的に肯定的でいることが基本になるでしょう。


そうした気持ちや姿勢、あるいは覚悟というものは、
こちらが言葉にしなくても、確実に相手には伝わっていきます。

まあ、むしろ言葉にしない方がいいでしょうね。


以前、場面緘黙ではないのですが、面接でほとんど話さない子がいました。

毎回数分から数十分の沈黙が当たり前のカウンセリングでした。

しかしその子は、そういう面接の回をおうごとに、
学校生活や家庭生活では元気を取り戻していきました。


言葉のやり取りはほとんどない面接を繰り返す。

それでもその子は自分を取り戻していったという事実を考えると、
やはりその時のカウンセラーの姿勢や安定感が大きいといえるでしょう。


最終的にはセラピーというものは、何をするかではなく、
誰がするのか、どういう人間性を発揮するのかだといえるでしょう。

そんな臨床の原点を、子どもたちは私に教えてくれました。

 

 

 


    

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