「カウンセリングにセンスは不要?」メルマガ第35回:2012年5月5日

こんにちは、鈴木です。
メルマガを開封して頂き、ありがとうございます。

 

 

「カウンセリングにセンスは要らない?」


養成塾では、グループカウンセリングや傾聴トレーニングなど、
実践的なプログラムにご参加頂いています。

 

その中で、講座の参加者や塾生さんから、よくこんな質問を受けます。

 

「聞く力には、やはりセンスが要るのですか?」


「やはり」という言葉がつくのは、質問した方にとって、
「聞けるようになる」ということは、とても大変なこと。

 

自分にそんな力がつけられるのだろうか・・・

という気持ちがあるからでしょう。

 


そんな時、私は決まって、こう答えています。

 

「いいえ、必要なのは訓練です」


カウンセリングの力をつける、聞く力をつけるには、
必要なのはセンスという要素ではなく、訓練。

 

訓練を続ければ、誰もが聞けるようになる。

 

私はいつも、そうお答えしています。

 


そのことをお伝えするために、今日は一つだけ、エピソードをご紹介。

 


数年前、私が師匠に自分のカウンセリング面接の記録を
細かくチェックして頂いていたとき。

 

師匠のダメ出しの連続にたまりかね、ついこんな質問をしてしまいました。

「私の聞き方、どこがだめなんでしょうか?」


つい・・というのは、師匠はこういう質問には通常、答えてくれません。

 

安易な質問だと思ったら、師匠は「自分で勝手に考えれば・・」とか、
"無視する"かして、絶対に答えてはくれないんです。

 


自分だ悪戦苦闘し、格闘し、その中から
自分で出てきた疑問の答えは、自分で掴み取れ。

 

師匠はそういうスタンスの人でしたが、この時はなぜか、こう答えました。

 

そう、わたしの「どこがダメか?」の質問に、こう答えたのです。

 

 

師匠「大雑把に聞いているから」

鈴木「・・・・・・・・・・・・・」

 

私は愕然としました。


その面接は自分なりには必死になって、一生懸命に、
しかも精一杯、耳を澄まし、耳を傾けていたつもりだったのです。

 

それを師匠は「大雑把だ」と、たった一言で"バサリ"と斬ったのです(笑)

 

 

私はそれ以上、つまり「どういう意味ですか?」とか、
「どこがどう大雑把なのですか?」と聞き返す気にもなれませんでした。

 


・・・・・・・・しかしです。

 


わたしは自分が「大雑把に聞いている」という言葉の意味が、
それから5年経ってから、やっとわかるようになるのです。

 

それまで私はずっと自分の中で、師匠の「大雑把」という言葉を抱えながら、
ひたすらカウンセリングに打ち込んでいきました。

 

そして5年ほど経ってから、自分の聞き方が変わっていき、
どこがどう大雑把だったのかも、自分ではっきりとわかるようになりました。

 


私がその言葉の意味がわかったとき、師匠は既にこの世にはいませんでした。

 

しかし、師匠から投げかけられたテーマをひたすら抱え続けたおかげで、
私は自分なりに向上することが出来たようです。

 

 

カウンセリングだけに限りませんが、自分の実力を上げるには、
こうした取り組み姿勢がどうしても必要です。

 

本当に力のある人間は、簡単に答えをくれません。

 

なぜなら、その指導者や師匠自身も、自ら苦しみ、
悪戦苦闘の経験の中からしか獲得できなかったからです。

 

そして、そうやって訓練を重ね、自分で掴みとったものこそ、
自分の本当の力になっていくことを知っているからです。

 


そこには「センス」などという不確定要素が入る込む余地はなく、
訓練、いえ訓練を続けるという「姿勢」が一番中心にきます。

 

私は師匠からそのことを身を以て教えられました。

 


  

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