【悲劇の事例】「援助と傲慢は紙一重」メルマガだい164回:2016年2月2日

 

こんにちは、養成塾の塾長、鈴木です。

 

 

 

「援助と傲慢(ごうまん)は紙一重?」

 

 

 

人助けというのは、一歩間違えると傲慢さが出てきます。

 

その結果、助けるつもりが傷つけてしまった。

 

そういう悲しい結末を迎えることになります。

 

 

 

しかも、相手を傷つけたことに気がついていない。

 

それでいて、自分は助けたつもりになっている。

 

 

 

相手と自分との間に、こうした大きな隔たりが生まれる。

 

こういうケースは、決して珍しくはありません。

 

 

 

以前、とても悲しい、こんなケースがありました。

 

私のケースではありませんが、

ある小学3年生の女の子のケースでした。

 

 

 

母子家庭で、一人娘のHさん。

 

Hさんは、いじめに遭い、不登校になりました。

 

学校にがんばって行っても、教室にはどうしても入れませんでした。

 

 

 

学校は、なぜ彼女が学校に来れないのか、わかりませんでした。

 

しかし、ある一定の場所に入れないとなったら、

その場所に原因があると考えるのが定石。

 

つまり、いじめや学級崩壊、もしくは、

友だち同士のトラブルなどが考えられます。

 

 

 

スクールカウンセラーとのカウンセリングで、

原因はいじめだとわかりました。

 

ただ、学校側は状況を全く把握も改善もできず、一年が過ぎました。

 

 

 

やむなく、彼女は転校します。

 

 

 

転校先の学校は、Hさん親子を、暖かく迎え入れようとしました。

 

クラスメイトや保護者たちも、優しく声をかけたりしました。

 

ところが、すぐに彼女はまた、不登校になります。

 

 

 

程なくして、その学校で、ある噂が広がります。

 

クラスメイトが、転校生のHさんを、いじめているのではないかと・・・・

 

だから、Hさんは、再び不登校になったのでは・・という噂でした。

 

 

 

そこで、クラスメイトも、保護者も、

この状況を何とかしようと焦ったのかもしれません。

 

考えた末に、Hさんに宛てて、皆で手紙を書いたのです。

 

おそらく、その一通一通は、心ある手紙だったことでしょう。

 

 

 

しかし、その後、Hさん親子からは、何の音沙汰もありませんでした。

 

少し日にちがたって、Hさんのお母さんから、

担任の先生を通して返事がありました。

 

その返事の内容は、「ソッとしておいてほしい」というものでした。

 

 

 

これで、クラスメイトと保護者は、プツンと切れてしまいました。

 

いったい、あの親子はどういうつもりなんだと・・・・

 

 

 

ここまで読んで、あなたはどう思ったでしょうか?

 

この出来事、つまり「事実の裏にある真実」に気づいたでしょうか?

 

 

 

前の学校で一年間の不登校。

 

原因がいじめ。

 

 

 

つまり、家で過ごしたり、保健室登校はしていましたが、

彼女の心は徐々に深く傷ついていったのです。

 

その深い傷を抱えたまま、転校しました。

 

 

 

学校がいじめを解決できなかった以上、

転校はやむをえない決断だったと思います。

 

考えなければならなかったのは、

転校先の学校とHさん親子との連携の取り方でした。

 

 

 

たとえ転校先のクラスが良いクラスであったとしてもです。

 

Hさんの心の中には深い傷が残っています。

 

新しいクラスへの不安、疑心暗鬼、怖いという気持ち。

 

Hさんは転校しても、日々、その葛藤に悩まされていたはずです。

 

 

 

そのために心身共に疲弊し、登校する気力が失われる。

 

結果、不登校になった・・・ということは、容易に想像できます。

 

 

 

もう一つ、悲劇につながったこと。

 

それは、転校先のクラスメイトや保護者たちの「思い」です。

 

おそらく、両者とも本当にHさんを暖かく迎えたかったのだと思います。

 

言葉かけや手紙も、そうした気持ちの表れだったはずです。

 

 

 

しかし、悲しいことに、Hさん親子には、

その心配りに応えられるだけの気力がありませんでした。

 

声をかけてもらっても、心のこもった手紙をもらっても、

追い込まれた心理状態では、それがスッと心に入ってこない。

 

あるいは、投げかけられたものに、投げ返しができる余力がない。

 

そういう状態に追い込まれていったのではないかということです。

 

 

 

結果として、Hさん親子は、その学校も辞めました。

 

生きていくのがやっとの状態にまで追い込まれたと・・・・

 

他のカウンセラーの担当校だったこともあり

その後、どうなったかは、私には情報が入ってこなくなりました。

 

 

 

心をこめてやったことだっからこそ、

それを仇で返されたと思ってしまったのでしょう。

 

善意からだからこその、不幸な結末です。

 

ただ、やはり善意と傲慢さは、紙一重なんだと思います。

 

 

 

本当に心から相手を心配するのなら、

そこには見返りを求める心があってはならないと思います。

 

ただ、自分は与えるだけという気持ち。

 

そしてもっと大切な事は、

それが本当に相手のためになるかということです。

 

本当に相手が喜び、助かり、救われるといえるのかということ。

 

これがしっかり見極められていない。

 

するとその結末は、このような悲劇になりかねない・・ということです。

 

 

 

もちろん、転校先の子どもたち、保護者達。

 

これは責められる話ではないでしょう。

 

むしろ、善意から行ったことは間違いなかったからです。

 

 

 

ただ、残念だったのは、追い込まれたHさん親子の胸の内を

本当の意味で理解できる人間がいなかったこと。

 

Hさん親子に変わって、代弁できる人間の存在がなかったことです。

 

そういう存在がいれば、そのクラスメイトも、保護者たちも、

また違った理解を示せたのではないかと思うからです。

 

 

 

これは、カウンセリングでも、傾聴ボランティアの仕事でも同じです。

 

介護や福祉の仕事も、相談業務全般も同様です。

 

医療行為や看護ケアも、例外ではないでしょう。

 

 

 

援助やケアと傲慢は、やはり紙一重です。

 

 

 

そこに善意の押し売りがないかどうか。

 

本当に相手のことがわかった(見えた)上で出来ているかどうか。

 

そこのところを間違えないようにしたいものです。

 

そうしないと、取り返しのつかない結末にまってしまうからです。

 

 

 

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