「なぜ共感的理解が必要なのか」メルマガ第158回:2015年12月1日

 

こんにちは、養成塾の塾長、鈴木です。

 

 

 

共感的理解はご存じでしょう。

 

 

 

カウンセリングを勉強すれば、必ず学ぶ概念です。

 

しかし、この共感的理解がなぜ必要なのか?

 

共感的理解によって、何が可能となるのか?

 

そのことを、しっかりと説明できる人は少ないようです。

 

 

 

共感されることで癒される?

 

それでは、わかったような、わからないような説明です。

 

 

 

また、「共感」と「同感」と「同情」の

明確な区別も、しっかりと出来ていない人もいます。

 

この区別は、オープンセミナーやワークショップで説明しています。

 

今回は、共感的理解がなぜ必要で、何が可能となるのかについてお伝えします。

 

 

 

共感的理解とは、そもそも何でしょう?

 

この概念を打ち立てたのは、他でもないカール・R・ロジャーズです。

 

ロジャーズは、この共感的理解が人間援助の根本だと説きました。

 

 

 

しかし、そう説いたロジャーズも、

最初は助言のオンパレードの面接だったそうです。

 

そうした面接に何度も限界を感じ、行きついたところが共感。

 

その共感的理解とは、一体何をすることなのでしょう?

 

 

 

私は、クライエントの経験、感情、思いなどを、

カウンセラーと共にわかち合うことだと思っています。

 

クライエントが経験したこと、悔しさ、悲しみ、怒り、絶望感。

 

そうしたもの、その一つ一つを丁寧にわかち合っていくことです。

 

 

 

そしてできることなら、それらをしっかりと、そして深くわかち合うこと。

 

そうすることで、クライエントは自分自身としっかり向き合うことができます。

 

 

 

自分の経験したこと、感情、思いを、カウンセラーと共にわかち合う。

 

具体的にはカウンセラーの聞き方、態度、応答によって、

クライエントは自分の伝えたことを味わい直します。

 

そうすることで、クライエントは自分の経験した諸々を、

改めて落ち着いて見直すことが出来るのです。

 

 

 

カウンセラーの聞く姿勢、態度、応答にふれることで、

クライエントは自らの姿を正確に、ある意味客観的に見直します。

 

そういった意味では、カウンセラーはクライエントの映し鏡となるわけです。

 

クライエントはその映し鏡に映し出される自分を見て、

自分自身や自分の経験の世界を正確に(客観的に)振り返ります。

 

 

 

自分はこんなに傷ついていたのか。

 

自分には、こんな思いが秘められていたのか。

 

これが自分の本当の気持ちだったのか。

 

 

 

そうして見えてくることが、クライエントにとって

「気づき」となり、「学び」となっていくわけです。

 

つまり、共感的理解とは、「気づき」と「学び」を促すものなのです。

 

 

 

さらに、同じ経験、同じ感情、同じ思いをカウンセラーとわかち合うことで、

クライエントは自分の感覚の「確かさ」や「危うさ」にも気づきます。

 

この感覚は確かだと確認できることで、

こんな思いを抱く自分はおかしくないと思えます。

 

この感覚は危ういと確認できることで、

よりしかりとした捉え方を模索します。

 

 

 

共感的理解には、そうした意味と目的があるわけです。

 

人の心は、助言や質問攻めや分析・解釈では動きません。

 

ロジャーズは、そうした知的な働きかけは生きないと説いていました。

 

 

 

人の痛みを分かち合う、人の喜びを分かち合う。

 

それはある意味、人の気持ちを我がことのように感じることです。

 

カウンセリングという手段を通して、私たちは、

人の心に寄り添うとはどういうことか、改めて考えていきたいものです。

 

 

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