「なぜセラピストは寄り添えなくなったのか」メルマガ第147回:2015年8月15日


「寄り添うとはどういうことか」



カウンセリングやセラピーは、実は今、世の中の信用を落としています。


注目されてはいますが、同時に「社会的な信頼」を失墜させつつあります。




冒頭からちょっと厳しい内容になりましたね。


でも、私は今日のメルマガでお伝えしたいこと。


それは、「真に寄り添うとはどういうことか?」というテーマです。




このテーマを考えるには、どうしたら真に寄り添えるのか。


今、どうして多くのセラピストが寄り添えなくなったのか。


こうしたところを考えていくと、わかりやすいのです。




まず、カウンセリングやセラピーが、なぜ、社会的信用を落としてきたのか?


それはやはり、私たち援助者が、本当の意味で寄り添えなくなったからです。


寄り添うということが、どういうことか?


そこをいつの間にか、見失ってしまったからです。




まず、概していえること。


それは、援助者が頭を使いすぎるということ。


やたら知識を溜め込み、その知識や理屈で援助しようとしているからです。



では、真に寄り添うって、どういうことでしょうか?




たとえば、高校生位の子たちを例にとりましょう。


高校生が川べりかどこかで、二人で座っていたとしましょう。


一人は何かあって、泣いていました。


その横で、もう一人が黙って座っていたとします。


余計なことは何も言わず、ただ黙って横にいる。


もしくは、同じ方向を向いたまま、同じように涙を流し、横にいる。




本来これが、真に寄り添うということの原型です。




大人がゴチャゴチャ理屈をくっつけてそれを駆使するよりも、

子ども同士の方がよっぽど心に寄り添うことが出来たりします。


なぜ、子どもは、時には大人よりも

「寄り添う」ことに長けているのでしょうか?




それは大人より知識も経験も常識も少ないからです。


下手な知識や下手な経験、そして下手な常識がある大人よりも、

子どもの方が純粋に目の前の友達に寄り添えてしまうところがあるんです。




私たちはいろいろと勉強をします。


心理のこと、カウンセリングのこと、人間関係のこと・・・・


でも、勉強したことは、時には寄り添う邪魔になることもあります。




勉強していない一般の人たちからすると、

勉強した人間の発想や行いが「奇異」に見えることがあるんです。


それは、間違いなく勉強が「仇(あだ)」になっている場合です。


心理の専門知識やセラピーの技法など、身に着けていない人たち。


そうした一般の人たちからすると、心理を勉強した人間の言動は、

とてもとても非常識に響くことがあるということです。




勉強した人間が、同じように、勉強した人間同士で集まる。


それはそれでお互いの刺激になり、学びもあります。


しかし、同時に、ここに大きな落とし穴も潜んでもいます。




心理の勉強などしたことのない人たち。


そういう人たちの世界で通用している常識や感覚。


そういうものにも通じていなければ、寄り添うことは出来なくなるんです。




そして世の中、心理の勉強などしていない人たちの方が圧倒的に多い。


そういう世の中の人たちに、私たちは寄り添っていく必要もある。


この認識はすごく重要なんですね。




セラピストは、時々、常識を超えた判断を迫られることがあります。


しかし、そこで的確な判断をするためには、

誰よりも常識に通じていなければなりません。


それも、心理の世界の常識ではなく、一般の世界の常識に・・です。




誤解を恐れずに書きます。




心理の世界は、時として、一般の社会から隔離された温室のような所があります。


一般の社会に通用しない常識や感覚が許される。




しかし、セラピストとして社会の人たちに寄り添うのであれば、

心理の世界の常識だけでは通用しません。


一般の社会生活を送っている人たちに通じる常識や感覚を働かせる。


そういうものがあって、初めて「寄り添う」ことができます。




冒頭に、カウンセリングやセラピーが、

社会的信用を落としていると書きました。


それは、こうした常識や感覚の「ズレ」があるからです。


私は、この「ズレ」をなくしていくことが急務だと考えています。




思春期の子供たち。


彼らがスクールカウンセラーの面接を経験し、

「もう二度と行かない!」と漏らすことがあります。


その背景には、こうした「ズレ」の問題があります。




子どもたちからしても、私たちの常識や感覚に違和感を覚え、

とても自分自身を委ねられないと思ってしまうわけです。


そんな子どもたち、社会人。


彼らから本当に信頼されるには、どうすればいいのか?


ここは真正面から捉えなおしていく必要がありそうです。




一般の社会で通じ合っている常識や感覚。


もちろん、それらに囚われてしまっては、息苦しくもなります。


しかし、それらに「通じている」必要は、やっぱりあるのではないでしょうか?




このメルマガを購読されたい方は下記よりご登録ください。↓

 

 

 

メールアドレス:

 (必須)
お名前  (必須)

 

 

 >>オープンセミナーの詳細はこちら