「共感的理解の神髄は直観」メルマガ第146回:2015年7月30日


先日、ちょっとした気づきがありました。


私は自分のカウンセリング面接を、ほぼ毎回録音します。


そして、ある程度、その録音記録をストックしています。




先日、その録音記録をいくつか続けて聴く機会がありました。


すると、面白いことに気づきました。




クライエントによって、私の対応が違っていたのです。




意識としては、常に同じようにやっているつもりでした。


基本である「正確に聞く」に徹し、的確な理解を心がける。


これは崩さずに今もやっています。




違うなと気づいたのは、もっと微妙な部分。


声色、声の高さ、あいづち、口調といったもの。


その「調子」というか、「感じ」というか、

それがクライエントによって微妙に違っていたのです。




例えば、年齢の若いクライエントと、年配のクライエント。


男性クライエントと女性クライエント。


それぞれが、本当に僅かな差ですが、微妙に違っていたのです。




正確に言うと、同じクライエントでも違うのです。


精神的に参った状態のクライエントには、

すごく柔らかい、安心感を与えるような調子。


そのクライエントが立ち直ってきた状態では、

少し張った感じというか、力強い調子に。




自分では意識してはいなかった事なので、

同時に聴き比べてみて、初めて気がつきました。


おそらく、これは「共感的理解」に努めようとした結果だと思います。




辛そうな人には、そのテンションに自然と調子が合っていく。


立ち上がりかけてきた人には、

そういう感覚をこちらも感じて、そうなる。


だから、その都度、微妙に調子や感じが違っていたようです。




ポイントは、意識して「変えた」わけではないこと。


無意識に、けれども自然に「変わっていた」ということです。




共感的理解というものは、直感的な働きです。


相手の経験の世界を深いところで感じ取る。


相手の世界のイメージを鮮明にし、リアルな感覚にしていく。


そういう感覚的な作業を求められます。




ですので、私のそうした調子や感じの違いも、

ある意味、直感的な働きだといえます。


共感的理解の感覚が反映した反応ともいえます。




セミナーや講座で、ロールプレイの聞き手をやって頂くと、

緊張もあってか、皆さん、一本調子になりがちです。


あいづちや応答の調子が硬く、変化なく、不自然な感じです。


だから、話し手の方も、ちょっと話しづらくなるそうです。


どうしても、機械的、事務的な聞き方に見えてしまうからです。




しかし、共感的理解の感覚が働いているときは、

「自然にやろう」などと意識しなくても、自然になります。


勝手に自然な感じになって、勝手に適切な応答が出てきます。




つまり、これは「集中の極み」といえる状態だと思います。


禅や瞑想をしているときの状態に、かなり近いといえます。




師の吉田はこれを、荘子の一節を引用して、

こう説いていました。



人の話は 耳で聞かずに 心で聞け


心で聞かずに 気で聞け




私は、師が伝えようとしていたこの感覚を、

ようやく「腹で」理解できるようになりつつあります。


吉田の面接の録音記録をいくつか聴き返してもみましたが、

その調子はやはり、微妙に変わっていることもわかりました。




少なくとも、人の心に寄り添うためには、

一本調子では難しいということのようですね。




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