「カウンセリングの最中に忘れてはいけないこと」メルマガ第132回:2015年3月


先日Facebookやブログで次のようなことを書きました。




カウンセラーが終始安定感をもって面接に臨めることが重要。


その安定感がクライエントにも伝わる。


クライエントもそれで安定感を取り戻す。




その結果、カウンセリングは成果を生みやすくなる。


そのためにはカウンセラーに専門性や経験が必要だ。




実は、この話には続きがあります。


専門性や経験の他に、重要な要素があります。


これはカウンセラーの姿勢に関する話になりますね。




カウンセラーに安定感が生まれるのは、根本的な姿勢の問題でもあります。


カウンセリングはセラピーであることは事実です。


クライエントが良くなっていく、精神的機能を回復していく。


そういう過程と結果があるのも事実です。




しかし、カウンセラー側の「治療」「良くする」という捉え方。


誤解を恐れずにいえば、これは「百害あって一利なし」です。




私は先ほど「クライエントが良くなって」と書きました。


しかし「クライエントを良くする」とは書きませんでした。


カウンセリング行為を行うことは、結果的に良くすることではあります。


しかしカウンセラーがこれを"意識"すると、途端におかしなことになります。




カウンセリングの途中から助言をしたくなる。


いろいろなことを質問してみたくなる。


クライエントが表明してもいないことを「こうでしょ」と言いたくなる。


クライエントに「気づかせよう」クライエントを「変えよう」という気持ちが働く。




ロジャーズはこれらの動きや思いを「邪道である」と指摘しています。


実際「邪道」という言い方ではないですが、不適切だといっています。




心の問題は、知的な刺激や理解を与えるだけでは解決しません。


知的な働きかけ(助言・質問・説得など)は、心を動かさないからです。


むしろ情緒的な交流によって心は動いていく。


心の問題は対話を通した心の交流によって解決に向かうと発見したのです。


知的な働きかけは、そうした交流によって

絶対的な信頼関係が築かれた場合のみ、初めて生きてきます。




さて、話をもっと根本的なところに移しましょう。


そもそもカウンセラーはなぜ、良くしよう、

気づかせようという意識をもってしまうのでしょうか?


カウンセラーの中に「良くしよう」「気づかせよう」という意識が出てくる。


だから助言したくなったり、説得したくなったりするわけです。




良くしよう、気づかせようという意識が出てくるのは、

ある姿勢が欠如しているからです。


カウンセラーの基本的な姿勢、カウンセリングの基本姿勢です。


それは「クライエントを信頼する」という姿勢です。


クライエントの立ち上がってくる力を信頼する。


クライエントの中に成長しようとする力が内在することを信頼する。


この基本姿勢を強く持ち、それを保てるかどうかがとても重要になります。




「このクライエントは自分で気づけないだろう」




カウンセラーの中にこういう思いが出てくれば、

当然助言や説得・説明によって気づかせたくなるでしょう。


クライエントは自分で気づくことができないとは、

つまりはクライエントへの信頼感が弱いことを意味します。




もちろん、助言や説明、説得が必要な場面はあります。


これらの働きかけが常にNGであるわけではありません。


ただ、こうした働きかけが有効なのは、

それこそ双方の間に絶対的な信頼感がある場合に限られます。


いくら必要だと判断して助言等の働きかけをしても、

双方に信頼関係が築かれていなければ、機能しないのです。




その信頼関係を築く一番根本の姿勢こそ、

クライエントに対する絶対的な信頼です。



「目の前のこのクライエントは、必ず自分で気づき、学ぶだろう」


「このクライエントの中にも、立ち上がる力が必ずある」



こういう捉え方・姿勢が常に失われないからこそ、

傾聴や共感的理解に徹することができます。


そして、徹することで信頼関係が生まれ、

やがて必要な場面での助言や説得・説明が生きてくるわけです。




私も過去に、自分の面接の録音や逐語をチェックしたとき、

上手くいっていない場面ではこの「信頼感」が欠如していました。


クライエントに対する基本的な信頼感を忘れてしまった時ほど、

余計なことをやろうとしていました。


こうした信頼感が失われるときは、面接に行き詰まりを感じた時です。


そして、なぜ行き詰まりが発生したかを検証すると、

結局は「聞けていない」という結論に至るのです。


つまり徹底した傾聴、それに伴う集中力の欠如でした。




クライエントに対する確信的な信頼感を失わない。


そして「ひたすら聞く」という姿勢を貫く。


全てはやはりここから始まるのだということを思い知らされました。


逆にいえば、これらの姿勢さえ失わなければ、

様々な可能性を生み出すことができるといえるでしょう。




ロジャーズのカウンセリングが絶対とはいいません。


どんな心理療法にも限界はありますし、

心理療法家の技量によっても限界は出てきます。


しかし、私はセラピーの根本に「信頼」「理解」を置いた

ロジャーズのあり方に、私なりに「光」と「希望」を感じました。


治すとか良くするという上からの立場ではなく、

「信頼する」「理解に努める」という共同作業を取る立場。


ここに大いなる可能性を感じたのです。




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