「沈黙を恐れることはありません」メルマガ第118回:2014年11月26日



「沈黙を怖れることはない」



私が想定していた以上でした。


養成塾の授業で感じたことです。


これまで塾では数多くのロールプレイ実習を行いました。


いろいろなロープレを観察し、検討。


そこで見えてきたこと。


それは、とても多くの人が「沈黙を怖れている」ということです。


それが私の想定以上の数だったのです。




ロープレが始まり、しばらくやり取りが続きます。


程なく、会話がひと段落。


そして沈黙が起こります。


すると彼らは沈黙に戸惑い、困惑し、

つい不用意な言葉でその間を埋めようとしたくなります。


その結果、本来出てくるはずのクライエントの問題が出てこなくなる。


あるいは面接の流れがずれてくる。


そうなるとカウンセラーはますます焦り、さらに多弁になってくる。


結局はカウンセラーばかりが多くを語る面接に終わってしまう。




また、カウンセラー側には、こんな恐れがあります。


それは、沈黙に狼狽するこちらの姿に、

クライエントから「無能」と見られるのではないか・・という怖れです。


そうした恐れが沈黙に対する恐れになっている部分もありますね。




ロジャーズはカウンセリングでの沈黙の場面はとても大切だと説いています。


なぜなら、沈黙の後に、クライエントから発せられる内容。


その内容は、洞察が一歩深まったものであるいことが多いからです。


そして沈黙を活かしたカウンセリングは、やはり深まり方が違います。


沈黙は怖れるものではなく、生かすものです。




沈黙の意味、種類を見極め、

どう対処すればいいのかを的確に判断することが大切です。


つまり大切なのは、沈黙を見極める力ですね。


養成塾では「ここは待つべき沈黙」「これは動くべきです」

という言い方を塾生にしています。


もちろん、どう違うのか、どう見極めるのかもお伝えし、その根拠も説明していきます。


逐語検討やロープレの検討といった具体的な場面を使って行っています。




様々な沈黙に適切に対応できれば、クライエントの洞察は深まります。


また、沈黙に動じず、落ち着いているカウンセラーの態度に、

クライエントは安心と信頼を覚えます。


なぜなら、沈黙も含めて受容されているという経験が、

クライエントを様々な抑圧から解放していくからです。



私が経験した沈黙で最も長かったものは30分です。


その後の面接でクライエントはこう話してくれました。


「あの時、ずっと待っていてくださって、本当に助かりました」


つまり、待つべき沈黙だったということです。




昭和20~30年代の臨床家の逐語記録を見ると、

もっと長い沈黙も珍しくありません。


逐語の随所に「間」や「沈黙」が発生しています。


当時の臨床家たちは、それだけ

「間」や「沈黙」の重要性と可能性がわかっていたのでしょう。



師匠の研究所で訓練を受けていたとき、

私は沈黙に関してこんなやり取りをしました。


師匠の過去のカウンセリング面接。


その録音と逐語を授業で学んでいる時のことでした。


その面接の後半は、連続して沈黙が起きていました。


そこで私はこんな質問をしました。



「先生はこうした沈黙では、どんな気持ちで臨んでおられるのですか?」



師匠はしばらく眼をつぶって黙っていました。


そして目をつむったまま、静かにこう言ったのです。



「自分の内面を見つめている」



当時、私にはこの意味が十分には理解できませんでした。


しかし、その後、自分も経験を積んでいくうちに、

その言葉の意味、そして重みが理解できるようになりました。


沈黙の見極めができるようになると、

それまでとは違った進展や深まりが生まれます。


そこで我慢できずにカウンセラーが動いてしまう。


それは、そうした進展や深まりの芽を自ら摘んでいるのと同じです。




今の時代、私たちの会話は落ち着きを失っています。


あまりにも「間」や「沈黙」が失われているのです。


会話の中に「間」や「沈黙」が自然と生まれ、それが生きた時間になる。


そういう人間関係が、再び求められる時代になるような気がします。




こうした観点からカウンセリングでの沈黙というのは、

非常に重要な場面であるといえますね。


沈黙を怖れず、存分に生かすカウンセリングを

ぜひ実践できるようになってください。



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