「『どん底からはい上がる』とは尊いこと?」メルマガ第112回:2014年8月26日

こんにちは、鈴木です。
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「どん底から立ち上がる尊さとは?」


先日、三浦綾子氏の「塩狩峠」という小説を読みました。

三浦綾子氏は、生涯病弱な人生でした。

しかし、その作品の要所で使われる言葉の数々は、
実に爽やかで、そしてたくましいものが多くあります。

おそらく病弱という不自由さとの葛藤を経て、
健康な人間以上に「生きる」ということや「命」と向き合ったのでしょう。

過酷な闘病生活に心を乱されないためには、
やはり自分なりの「確かな人生観」が必要だったのかもしれません。


同じことが、明治の俳句の祖、正岡子規にも言えます。

正岡子規も不治の病に侵され、晩年は苦しみの連続でした。

しかし、そんな苦しみの中から生み出された俳句は、
読むものを魅了し、病人とは思えない楽観的な調子で書かれていました。


人間というものは、どん底にあるとき、いろいろなことを考えます。

そして、どん底からはい上がろうとする中で、
自分の人生観というものをより確かなものにしていくのかもしれません。

そのことを私に教えてくれたのは、クライエントの皆さんでした。


どん底の中にあり、必死にはい上がろうとする人たち。

なかなかすぐには浮上できず、思うようにいかない状況が続きます。

しかし、そんな暗中模索の中で何かを見出せたとき。

その時のクライエントの語りの中にある言葉は、
実に確かな人生観だと思わずにはいられないものです。

まるでそれは、三浦綾子の小説の言葉のように、
また、正岡子規の俳句のように澄んでいて尊い、そして確かな言葉なのです。


どん底から人間が立ち上がっていく時に口にする言葉。

それは、まるで尊い教えを聞いているような感覚すら覚えるものです。


また、そうした境地にたどり着くのは、大人だけではありません。

スクールカウンセラーを務めていた時、
私は小学生の子どもたちからも、同じような言葉を聞いたのです。

誰に教わったわけでもないはずなのに、
子どもたちは自らの暗中模索の中から、確かな人生観を語ります。

その言葉、表現は、大人のそれと何ら変わることがありません。


私はそうした場面に何度も遭遇するうちに、
子どもたちのそうした内面性を自然とリスペクトするようになりました。

例えそれが小学校1年生の子どもであっても、
子どもが有する内面の尊さに、敬意の念を抱くようになりました。

いつの間にか、私は子どもたちにそうした念をもって接するようになったのです。


すると、その思いが子どもたちに伝わったのか、
子どもたとの関係性やカウンセリングが深まるようになりました。

目の前の小さな子どもたちを心から尊敬する感覚が常にあり、
その感覚を大事にカウンセリングをすると、非常に上手くいきました。


カール・R・ロジャーズがこんなことを言っています。

カウンセリングは、技法よりもカウンセラー自身の
「姿勢」や「態度」、つまりそのあり方や人間性の方が大事である。


私はこの考えが全くもって真実であると思うようになりました。

それからは、応答などの技法もそうですが、
自分の面接でのあり方がどうだったかを、より検討するようにしました。


自分がどんな心持ちで、どんな心のあり様で座っているのか?

瞬間瞬間にどんな思いや感覚が働いているのか?

こうした様子を丹念に検討するようになりました。

そしてこうした要素が面接に及ぼす影響が
いかに大きいものかということを、再認識していったのです。


こうしたことを教えてくれたのは、クライエントの皆さんです。

クライエントが学を深めていくことはもちろん、カウンセラーも学びを深めていく。

双方が学びを深めていく関係性こそ、
カウンセリングの成果をより確かなものにするのかもしれません。
     
             

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